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アートが好きでごめんなさい

美術館巡り、アート、旅行、ときどきお祭り。気づいたら、いつもアートがそばにいた。

日本で一番新しい(らしい)七福神、戸塚宿 七福神めぐりに行ってきた!

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歳時記201401|戸塚宿七福神めぐり|☆戸塚パルソ通信☆

 

1月11日(日)に戸塚宿 七福神めぐりしてきました。

16時までだったのですが、出発が遅れ、1時間でピャーっと廻ってきました。

ご利益があると良いのですが・・

宝蔵院(毘沙門天

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開山は弘法大師と伝えられている。

寺院名を「東高野」。その後、寺名は「東峰山・光圓寺」更に「東峰山・光剛寺」とし、その本堂を宝蔵院とした。

 妙秀寺(弁財天)

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鎌倉小町の妙厳山本覚寺末寺で、延文元(1356)年、武蔵国豊島郡を支配していた桓武平氏の血をひく豊島修理太夫の母の創建である。境内には、江戸時代戸塚のシンボルとされていて広重の浮世絵"大橋"にも描かれた道標「かまくらみち」がある。この道標は戸塚の謎として浮世絵愛好家の中では論争が続いている。

雲林寺(恵比寿)

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鎌倉幕府を開いた源頼朝の供養のため、北条政子により承元4(1210)年、天台宗の寺として創建された。

 来迎寺(寿老人

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開山は呑竜和尚が慶長6(1601)年に創建したものである。現在の本堂は関東大震災で崩壊したのち、仮本堂などを経て、昭和46年に建築されたものである。この寺は昔より、子育て呑竜上人様の寺として賑わった。そのエピソードは、子供がほしい夫婦が、熱心に信仰を行ったところ一女を得たとか、ある妻がみごもる度流産を繰り返すので、呑竜様のお守りを持たせたところ男子を得たとかの伝承がある。

高松寺(大黒天)

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寺の開祖は檀那(だんな)・高松三郎入道頼重、戒名・潤岳院殿で、開山は文和3(1354)年、龍甫公弾師による。開祖の墓は、寺の山頂の雑木林の中に、現在も土墳墓として祀られている。

清源院(毘沙門天

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江戸の初め戸塚を管理していた代官頭彦坂小刑部が、彼の陣屋付近に住んでいた娘を徳川家康の側女として勤めに出した。40歳を過ぎたころ、家康の病を聞いて駿府に駆けつけた、家康は喜び、お礼に歯吹阿弥如来像を賜った。

家康死後この阿弥陀様を安置するため尼となり、清源院を創建した。本尊・歯吹阿弥陀像は全国に17躰あり、その内神奈川県には3躰ある。徳川将軍家との縁の深さから、本堂窓ガラスには大きな葵の紋が描かれている。

海蔵院(布袋尊

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鎌倉円覚寺末寺。創建は貞治2(1363)年、円覚寺塔頭黄梅院2世による。

親縁寺(福禄寿

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以前は真言宗のお寺で大阪下にあった。元応2(1320)年、中世のヒーローで俣野地区を開発した俣野五郎の一族の呑海が、藤沢の遊行寺を建立し、布教の折戸塚を訪れ、その際真言宗から時宗に改宗された。

最後に

本当は、色紙(1000円)を購入して、こんな感じで七福神めぐりする予定だったのですが・・

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色紙は妙秀寺で見本で置かれていたものを撮影

 

残念ながら、前日の10日(土)に売り切れてしまったとのことで、まさかのパンフレットにスタンプを押すことに・・

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なので、来年もう一度リベンジしたいと思います!

(肝心の七福神の石像を撮るのも忘れたし・・)

 

お読みいただきありがとうございました!